印刷職人のしごとばTOPICS

写真の始まり

2020.7.7  雑記エトセトラ 

写真の始まり


皆様は写真にどのような機能があると思いますか? 
大抵の方は「複製と記録」とお答えになるでしょう。これは全くもってその通りで、かのベンヤミンも写真や映画の「複製と記録」という機能に着目していました。有識者から私たちまで共通の認識と言って差し支えないでしょう。
しかし、世界で初めての実用的な写真と言われている「ダゲレオタイプ」そのものには複製の機能が無い事はご存じですか?

というわけで、今回は写真という技法の始まりについてお話しようかと思います。 


まだ写真という技術が無かった当時、レンズから出た光の像を箱の中に映してトレースをする「カメラ・オブ・スクラ」という機械がありました。フィルムや紙にレンズから出た光を定着させる技術はなかったものの、レンズから出た光で像を作るという自然現象は広く知られていたようで、カメラ・オブ・スクラとしてデッサンに転用した西洋はもちろん、日本やアフリカでも自然現象の一部として当時の記録が残っています。 
そんななか「このレンズから出た光を永遠にとどめておくことはできないか?」と考えた人々がいました。フランスにいた「ニセフォール・ニエプス」もその一人です。彼は後にダゲレオタイプのキーパーソンとなります。

Niépceニエプスさん
Daderot –  パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15356906による

彼を簡単に紹介するなら、「用心深い発明家」です。彼は一人で何度も写真の発明を試みており、永遠に写真の像を定着することは難しいものの単独であと一歩のところまでたどり着いている優秀な発明家でした。 
兄弟で内燃機関を発明するなどかなりの能力を持っていて、研究が盗まれる事を危惧していたのでは?と思うほどに用心深いふるまいをしていたようです。
国が違う上に面識はないにせよ、同年代に写真の発明に挑戦している人間は決して少なくありません。間違った判断ではなかったでしょう。

そんなニエプスに目をつけたのが、ダゲレオタイプの語源にもなった男「ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール」です。彼はパノラマ画、舞台芸術やジオラマなど、今で言う映画やアトラクション、VRのようなものを生業としていました。
ジオラマなどに活用していたことから、当然カメラ・オブ・スクラに関する造詣も深く、その繋がりで光学機器を売る商人からニエプスのうわさを聞いたダゲールは、ニエプスの研究に強く興味を抱きました。というのも、既にダゲールも「写真」を目標に研究を開始していたからです。

ダゲレオタイプで撮られたダゲールさん
メトロポリタン美術館のコレクションより引用

すぐにダゲールはニエプスに手紙を送りましたが、ニエプスはダゲールを「研究の盗人」と警戒していたのか、なかなか話がまとまりません。 
しかしダゲールは根気よくニエプスを口説き、ついに共同研究をすることに。ニエプスは道半ばで亡くなってしまいますが、ニエプスの息子がダゲールとの研究を引き継ぎながらダゲレオタイプは完成するのでした。 
その後、ダゲールによる政治家への根回しも成功し、この「ダゲレオタイプ」という写真技法はフランス政府に特許として買い取られ、ニエプスとダゲールはフランス政府から一生年金を貰う身となったのです。めでたしめでたし。 
……かのように思えましたが、実はそうではありません。ニエプスの息子がダゲールに「私の父の研究にタダ乗りするな」と怒って関係が悪化してしまった上に、写真を発明した人間が他にも同時期にいたためトラブルになってしまったのです。

ダゲレオタイプに対する「カロタイプ」を発明した彼らの名は、
「イポリット・バヤール」と「ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット」 

最初にも書いた通り、「ダゲレオタイプは複製することができない」という欠点がありました。銀板に直接像を定着させるダゲレオタイプの技法上、そこからは逃れられないのです。
対して、バヤールやタルボットの発明した「カロタイプ」は「画質が低いものの紙のネガがある限り複製できる」ネガポジ方式の写真技術でした。ネガポジという方式は現代のフィルム写真の主流です。現代のポピュラーな写真技術はダゲレオタイプではなくカロタイプをルーツとしている。と言っても過言ではないかもしれません。それならダゲレオタイプはポジフィルムのルーツとも言えてしまうのですが・・・


ちなみに、ダゲレオタイプには現代の写真と比べても遜色の無い解像感があります。ダゲレオタイプで発表を続けている写真家さんの作品を生で拝見した事がありますが、恐ろしいほどの熱量と美しさでした。
ダゲレオタイプは「銅板に銀メッキを施して文字通りピカピカに磨き上げ、ヨウ素蒸気に晒した後、気を付けてカメラにセットし撮影、水銀蒸気に晒して現像、出てきた像を食塩水で定着させる」という非常に人体に悪影響を及ぼすプロセスが必要で、意志が無ければできない作業です。非常に美しいダゲレオタイプですが、完成させるために乗り越える「壁」を理解するとゾッとする美しさにもなります。
もちろん、このプロセスを経て完成したダゲレオタイプそのものに基本有害性はありません。古写真コレクターの存在や古写真の劣化などもあり今はなかなか出回る数が少ないものの、蚤の市などで古写真が手に入ることもありますので機会があればぜひ手に取って観てください。

ダゲールによる最初期のダゲレオタイプ『Boulevard du Temple』
左下に靴磨き中らしき人が写っていて、世界で初めて人間が写った写真とされています。
この時代の写真はだいたい10分以上の露光時間が必要なため、ダゲールが立っているように頼んだのでは?と考える人もいるそうですよ。確証はないようですが、人間関係の構築が上手なダゲールであればありえる話です。
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール – Scanned from The Photography Book, Phaidon Press, London, 1997., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5005681による


話を元に戻しましょう。結果的にタルボット達はダゲールの二番煎じという扱いをされてしまいます。ネガから複数の同じ写真が作れるというカロタイプの機能はダゲレオタイプに対してとてもユニークだったのですが、美しさで劣った事と、ダゲールを後押しした政治家の力が強かったのが主な理由です。ダゲレオタイプと双璧をなすのは事実なのですが、二番煎じ感は確かに否めないだろうなと私も思います(個人的にはカロタイプの方が好きですが)
自分の発明が認められることなく、利益にもならなかったために怒りが爆発。バヤールは抗議のために「溺死した男」の仮装をして自撮りを発表し(おそらく世界初のオモシロ自撮り男)、タルボットは特許で暴利を得ました。

溺死自殺した男のふりをして、自分の発明を評価してくれないフランス政府に抗議するバヤールさん
By Hippolyte Bayard – Digital Library Federation Academic Image Cooperative, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=87383736
タルボットさん
ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット – Part of the photographic collection of the National Gallery of Victoria., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=731648による

しかもタルボットはイギリス人でバヤールはフランス人。二人は全く面識がありません。便宜上、同時期の紙ネガ方式は全てざっくりカロタイプと呼んでいますが、発明と名付けはタルボットで、バヤールはカロタイプとほぼ同じ技法を早期に独自開発していたという複雑極まりない経緯もあります。共同研究でもないのに偶然似たモノをタッチの差で発明したことはまさに悲劇。カロタイプとダゲレオタイプの争いもとても長い間続いたそうです。まあ、だいたいの原因はタルボットさんなのですが……流石、絵がヘタクソで写真術を発明した男。

「複製と記録」の機能を得たその後の写真に向けられる芸術家や知識人の冷ややかな視線を思うと、写真は生まれた直後から受難続きだなぁと思わずにはいられません。

この記事は筆者の主観と記憶に基づくものです。間違い、ご指摘などあればご連絡いただけますと幸いです。