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『幡随意上人名号』の保存修復

2018.7.17  保存・修復のお仕事 

先日お知らせした「文化財保存・復元技術展」では、
再現度の高いレプリカや図録を主に展示する予定ですが、
今日は、複製ではない実物の文化財の修復の仕事の実例を
ご紹介したいと思います。

職人さんとの幅広いつながりが、美術品に対して
普通の印刷会社の枠を超えたアプローチをも可能にしています。

 

今回修復したのは、『幡随意上人名号』

戦国から江戸時代初期の浄土宗の僧・幡随意上人の名号(個人蔵)。

折れや破れといった損傷があり、大規模な修復が必要でした。
修復の様子を写真付きで解説していきます。


▲修復前の姿。

掛け軸は、巻いた状態で収納されるため、古いものは
このように横に折れが入ってしまうことがあります。


軸棒から外れるなど、裂(きれ、周りの布)部分にも損傷が見られます。

この掛け軸を、古い質感はそのままに、傷のない状態に
修復していこうと思います。

 

美術品を修復する場合、まずは解体してパーツごとに補強を
することが必要です。


▲解体された本紙と裂。

解体した紙や裂は、蒸留水で汚れをきれいに洗います。
大胆に見えますが、解体作業も全体に蒸留水を付けて慎重に行います。


修復には、傷ついた部分を補うだけでなく、古くなったパーツを
除去する作業も伴います。
上の写真は古い「肌裏打紙」を除いているところです。

掛け軸は、本紙への裏打2回、裂への裏打2回、全体への裏打1回と、
合わせて5回の裏打(裏紙を貼って補強すること)をします。
上の写真で交換しているのは、裂の「肌裏打紙(1回目の裏打)」です。

本紙・裂の肌裏打紙は必要なパーツなので、除去した後は新しいものに
付け替えます。

▲本紙への再裏打ちが終わりました。

ここからは、本紙の折れの補強に入ります。

白い筋が何本か見えますが、ここが紙が折れている部分です。
ライトボックスで透かしながら、傷に沿って丁寧に和紙で
裏側から補強していきます。
この工程を「折り伏せ入れ」と言います。


▲本紙の折り伏せ入れが終わりました。縦にも何本か折れ線が
入っているのがわかります。

この上から、「増裏打」と呼ばれる2回目の裏打ちを施します。


▲ここでは増裏打に適した「美栖紙」を使いました。

ここまで終わった本紙を、仮貼りにかけて
自然乾燥させます。

この間に、裂も同様に肌裏打紙の交換、折り伏せ入れから乾燥までを行います。

本紙と裂それぞれの自然乾燥が終わると、元の掛け軸の状態に
戻していく作業に入ります。


▲本紙周りに、元どおり裂を付けました。「付け廻し」という工程です。

付け廻しで本紙と裂をまとめると、全体に再び裏打ちをします。
これが「総裏打」、5回目の裏打ちです。


▲総裏打が終わると、再び仮貼りにかけてしっかり自然乾燥させます。

乾燥が終わると、「八双」と「軸棒」を取り付け、仕上げにかかります。

「八双」は掛け軸上部の棒、巻き終わった時に一番外にくる棒です。
「軸棒」は掛け軸下部の棒、掛け軸を巻く時に芯になる部分です。


▲軸棒を付け直したところです。
写真上部に本紙の表が少し見えていますが、折れがなく
綺麗な状態になっているのがわかります。

軸棒とその先につける軸先(上の写真、棒の端のこげ茶の部分)は、
修復前についていたものを再利用しましたが、八双は環の釘穴が
利用できないので新調しました。

▲風帯(掛け軸上部から2本下がっている細い布)を取り付けました。

上の写真の左端に、白くて太い筒が見えます。
これは「太巻き芯」といって、これを芯にして掛け軸を巻くことで、
再び掛け軸に折れが入ることを防ぐものです。
ポスターなどで試すとわかりますが、巻物は細く巻けば巻くほど
本体に大きな負担がかかってしまいます。太巻き芯を入れると、
巻きの直径が大きくなり、掛け軸にかかる力を最小限に
抑えることができるのです。
展示の際には現れませんが、掛け軸の保存にとって大切な道具です。

もともと収められていた桐箱も
太巻きが入る大きさで新調し、いよいよ完成です。

 

こちらが修復完了後の『幡随意上人名号』です。
本紙と裂の折れが取れただけではなく、水洗いにより
古い色は残しながらもすっきりとした印象になりました。

この掛け軸を新しい桐箱に入れ、
完全な状態で納めさせていただきました。

 

文化財の保存修復とは、「作られた当時の姿に戻す」ことよりも、
「状態を保ち、今以上の劣化を防ぐ」ことに重きが置かれます。
そのため、交換の必要のないパーツは引き続き使いますし、
交換する場合でもあえて古い色のものを選ぶなどします。
今回のように、洗い落とせる埃は落とし、清潔な状態に戻すことも大切です。
文化財が過ごしてきた長い時間を感じながらも、本来の状態に
近い姿を知ることができるようにするのが、保存修復作業の力です。

 

明日から始まる展示会では、サンエムカラー内で技術を
駆使して制作してきた印刷物たちをご紹介します。
『幡随意上人名号』はレプリカではなく貴重な文化財
そのものですので、実物を展示会などでご覧いただくことは
できないのですが、サンエムカラーの美術品に対する
向き合い方の一つとして、頭の片隅に
置いておいていただければ、と思います。